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無我 35-100506

3,450円(税込)

定価 3,900円(税込)

 フォトマット紙半光沢紙
A4(21×29.7cm)
A3(29.7×42cm)
A2(42×59.4cm)
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見えているのに見ていない、無我の瞳の哲学
閉じてもなく、開いてもなく。正確には開いているのに、その視線はどこにも向かっていません。大観は「無我」という抽象的な哲学的概念を、視線という最も具体的な表現手段で描ききりました。自我があれば何かを「見る」。しかし無我の境地において、見ることと見られることの区別は消えます。この曖昧な瞳の前に立つとき、見ているのは私たちではなく、見られているのが私たちであることに気づきます。

■アーティスト
横山大観 [ よこやまたいかん ] (1868年9月18日-1958年2月26日)
近代日本画の巨星。明治から昭和にかけて、彼は伝統的な日本画の枠組みを破壊し、再構築するという壮大な挑戦に生涯を捧げました。師・岡倉天心と共に歩んだ道は、決して平坦なものではありませんでした。西洋画の写実性を取り入れようと試行錯誤する中で生まれた「朦朧体(もうろうたい)」は、当初、線描を否定するものとして激しい非難を浴びました。しかし、その批判こそが、新しい時代の夜明けを告げる産声だったのです。大観が描く風景には、目に見える形を超えた「日本の精神」が宿っています。立ち上る霧、静まり返る山河、そして生涯をかけて描き続けた富士山。墨の濃淡と金泥が織りなす崇高な空間は、自然への畏敬の念そのもの。湿潤な日本の空気をカンヴァスならぬ絹本に定着させるため、神経を削り、色を重ね、光を追い求めました。独自の美学を貫き通したその筆致は、荒々しくも気高く、今なお人々の魂を震わせます。伝統に安住せず、常に革新を求めた孤高の画家の情熱は、時を経てもなお、峻烈な光を放ち続けています。

■作品概要
無我
1897年、大観26歳の作。茫漠とした金色の空間に、一人の幼子がぽつりと立っています。目を閉じているわけではない。しかしその瞳は、何も見ていない。どこも見ていない。見ているとすれば、それは内側。自分の内側にある、名もなき静けさ。これが「無我」の状態です。自我が消え、世界との境界が溶け、ただ在ることだけが残る。仏教哲学が説く究極の境地を、大観は一人の子どもに託しました。子どもだからこそ表現できる。まだ自我が固まりきっていない、あの透明な時間。着物の模様も、背景の枯れ枝も、遠くの水面も、全てが夢の中の出来事のように静かです。歩いているのに、止まっているようにも見える。時間が流れているのに、止まっているようにも見える。無我とはそういうものかもしれない。全てが動いていて、全てが静止している、その狭間。
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横山大観が1897年に描いた「無我」は、仏教哲学における無我の境地を一人の童子に託した近代日本画の傑作・代表作であり、金地の茫漠とした空間にぽつりと立つ幼子の虚ろな瞳が自我の消えた透明な精神状態を見事に体現しています。自我という鎧をまだ持たない子どもという聖域性、大きすぎる着物に包まれた小さな体、枯れ枝と芽吹く草が共存する象徴的な背景が東洋思想と幽玄の詩情を静かに語り、明治近代日本画・近代美術の精神性と構図美が凝縮されたこの掛軸は、横山大観の名とともに今なお語り継がれるコレクション作品です。

■サイズ
・A4/ 210mm×297mm 
・A3/ 297mm×420mm
・A2/ 420mm×594mm

■材質
本商品は用紙のご選択が可能です

⇒ フォトマット紙0.25mm厚
官製はがき(0.2mm)よりもやや厚いコシのある紙質。
画用紙に近い印象となり、光沢がないので版画のような仕上がりになります。
日本画によく合います。

⇒ 半光沢紙026mm厚
光沢を抑えた仕上がりで反射が少なく、どの角度からでもきれいに鑑賞できます。

■キーワード
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